Tomoko’d Violin Diary 第一章バイオリン物語14
ーNew World Symphony を受けよう!
BSOのオーディション、学校の実技試験、潮田先生の貴重なレッスン、メリールーのオケスタレッスン、そして弦楽四重奏の試験に追われ後4ヶ月ほどで一年目が終わってしまう。
焦った。なんとかアメリカに残る方法を考えなければいけない。
一つは、奨学金を頂いて学校に残る、もう一つはお仕事をとる。
潮田先生にも相談をして、New World Symphonyというオーケストラがある事を知る。
お給料をもらいながら、世界でも有名なオーケストラの方や、ソリストからレッスンも受けられる、言うならば、’’プロのオーケストラに入るための養成所’’みたいなオーケストラがあると聞いた。それは、リゾートで有名なマイアミビーチにあるらしい。
’’そんな夢の様な場所が本当にあるんだろうか?’’と真面目に思った。
メリールーも教えに来てくれると言う。
何の迷いもなくそこを受けることに決めた。
学校のお友達が’’すっごく入るのが難しいところ’’と言っていたのも無視し、そんなことで怯んでいたらことは進まないと、すぐに資料を取り寄せて、練習に入った。
聞けば、バイオリン1席に何百人ものプレーヤーが応募する。
倍率何百倍の難関だ。ひどい時は数字4桁に行くことがあると聞いた。
こんな好条件のオーケストラだ。無理もない。喉から手が出るほどそこに入りたかった。
これまた好都合なことに、オーディションはここNEC(New England Conservatory)でもある事を知る。
それからオーディションの日までの練習は私の人生の中で一番練習した日々ではないかと思う。
本当にアメリカでバイオリンが弾きたかった。ただそれだけだった。
NECの寮には地下に24時間練習できる狭くて暗い練習室がある。
そこにほぼ毎日籠もった。
夜遅くまで練習して、朝起きれずに潮田先生のレッスンに寝坊して、同じ門下の生徒に起こされたこともあった。
’’若い時の苦労は買ってでもやれ’’とは本当によく言ったものだ。
人の2倍は緊張し大事な場面では7割型失敗する小心者の私がどうやってその恐ろしく倍率の高い夢の地に行けるのか?
もうこれは死ぬ気で精進するしかない。そしてそんな姿を見たらきっと神様も一度くらい助けてくれるだろうと真剣に思った。
音程もいつもより念入りにさらい、練習用テープレコーダーも買った。
毎日毎日緊張と闘いながら、ここで手を抜いたら日本行きと鞭を打って毎日を送った。
ここで、結構根性だけは着いた様な気がする。
(根性と、緊張しないのとは全く別のおはなしだけど、泣)
オーディションの前に何度もメリールーの前で予行演習をした。
ーNew World Symphony オーディション
このオーディションの日が来てしまったと言うのと、やっと今日でこのオーディションの練習の日々から解放されると言う複雑な気持ちだった。
泣いても笑っても、アメリカに残れるかどうかが決まる大事な日だった。
オーディション会場がうちの学校内で慣れた場所というのは有り難かった。
オーディションの部屋に入ると、審査員2人がピザを食べていた。
きっと昼の時間もないまま多数のオーディションを聞いていたのだろう。お疲れ様です。
その光景を見た時、ちょっと落ち着いた。
やれることはやった。
後もう一回弾くだけ。
メリールーに教えてもらった様に譜面台の前に立ち、課題曲とオケスタを弾き切った。
想像してたよりは落ち着いて弾けたという記憶がある。
終了後、審査員に’’後1年大学院残ってるけど、NWS(New World Symphony)にいつから来れるの?’’と聞かれた。
’’すぐにでもいけたら行きたい’’
とだけ答えた。ボーダーラインの演奏は出来たんだろうと自分なりに判断はした。
あとは神のみぞ知る。
もしここに通るのであればアメリカに残れるチャンスは大きくなる。
…合格通知を受けたのは、北海道のPMF、パシフィックミュージック
フェスティヴァルに参加している時だった。飛び上がるほど嬉しかった。
これでアメリカに残れる第一歩が踏み出せた。
