Tomoko’s Violin Diary 第一章バイオリン物語9

 Life

ーアスペン音楽祭からボストンへ!潮田益子先生との出会い

アスペン音楽祭の帰り、アメリカを西から東に横断する形で、ボストンに飛んだ。
幼なじみ(最初のコンクールで上手だった2つ上の同門下生)がそこで素晴らしい先生にバイオリンを習っているというから覗いてみようと思った。
その幼なじみは快く益子先生を紹介してくれて、いざ、初めてのレッスンとなった。
その方は今まで出会った先生とは全く違うオーラを醸し出していらっしゃった。
その1回目のレッスンで、私がハンディキャップに感じてた右手の扱いをものの見事に改善してくれた。
’’弓っていうのはね、バイオリンの弦の上に置いて、左右に運動するだけ。それ以上でもそれ以下でもないのよ。簡単なこと’’
あっさりしたものだった。でもシンプルなことを考えすぎて、体が硬直してしまったことは間違いなかった。その証拠に、今まで長い間悩んでいたことがこの先生のおかげで、チョチョイのチョイですぐに治った。? お金を使い、時間も使い、ここまで来た甲斐は大アリだった。

ここで、潮田先生に習いたい!!と強く思った。ボストンのニューイングランド音楽院、大学院を受けることを決意した。

このアメリカ旅行がなければ、今の私は無い。そして ’’もしあの時アメリカで潮田先生にお会いしていなければ、今頃どんな人生を送っていたんだろう?’’ と自分の人生を振り返ることなく今現在まで生きて来たということは、後悔はなかったと言うことだろう。

日本に帰国してからは、NEC(ニューイングランド音楽院)受験に向けて猛練習に入る。
ラッキーな事に、受験は東京の桐朋音楽院で受けられる。アメリカに飛ばなくても良い。

その間、潮田先生が日本公演をなさる時には必ずレッスンを受けた。忙しい中いつも時間をとってくださった。それもレッスン料などは、これから自分のことに使いなさいと、一切受け取ってくださらなかった。

ーニューイングランド音楽院 大学院受験

それは寒い寒い雪の降る真冬に緊張とストレスとでお医者さんがびっくりするほどの膀胱炎になり、絶対安静とお達しが出た。

しかし、人生一大事のNEC受験を控え、膀胱炎如きで夢を諦める訳にはいかん!!

とおうちには籠もっていたが練習は続けた。

東京に移動しいざ!!オーディション。

場所は東京と言えども審査員はアメリカ人。

ニコニコしてとってもフレンドリー。そこで単純な私はすこーし緊張が解ける。

課題曲はこの病気持ちの体を考えるとまあまあ弾けていたと思う。

審査員の人が、’’NECにくる前に英語は勉強しといてねぇ!’’と最後に言う。

その意味を受け取るのでは無く、’’え?合格ってこと??’’とそちらの方に頭が舞い上がった。しかし、私の英語力で、’’合格ですか?’’と聞くこともできず、ドキドキしながらオーディションの部屋を出た。

不思議なことにアスペンのオーディションの時もそうだったけど、審査員が外人だと

どうせ日本人じゃないし、と開き直るところが私にはあり、いつもより安定した演奏が出来ることに気づく。

実際アメリカに住んでわかったことだけど、それはアメリカという国の音楽の接し方の違いと、国民性の違いで、審査員がいつも通りの演奏が出来るように暖かい場を作ってくれる。

それに救われたことが何回もあり、私もいつかこういう生徒がいたら温かくオーディション会場に迎えてあげたいと思っている。

後に正式に合格通知と入学要項を受け取った。

晴れて合格!

しかし英会話教室に通っても会話は全くうまくならず、TOEFLの点も上がらず大変だった。

お恥ずかしい話だが、ロータリー奨学生に受かったにもかかわらず、TOEFLの点が足らず、奨学金を逃してしまった人である。どうしてもヒアリングが聞き取れずそこで総合点が悪くなるパターンだった。

9月にいよいよNECでオーケストラの座席決めオーディション(seating audition)、聴音、音楽史のテストがあるのでそれに備えた。

英語もロクに聞き取れないままいざ、ボストンへ!




真ん中益子先生。名古屋にリサイタルに来られた時。