Tomoko’s Violin Diary

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第一章 バイオリン物語り

ーヴァイオリンを始める


名古屋生まれ、熊本育ち。
ハッキリと記憶にないけど、4歳の時に突然バイオリンのレッスンを受けることになる。
父のたっての希望だったそうだ。父の父、私の祖父はバイオリンを弾いていた。8人兄弟だった父は下から2番目で、バイオリンを触るチャンスが回ってくることがほぼ無かったそうだ。そのバイオリンの取り合いで、兄弟喧嘩が絶えず、見かねた姉がそのバイオリンを叩き割った(汗)という話を何度となく聞かされた事はあった。
だからどうしてもバイオリンが良かったそうだ。気持ちは分かる!

私は、バイオリンを弾くのは嫌いでは無かったが、日々の練習は嫌いだった、という典型的な子供だった。バイオリンを持つのが億劫。ずっと立ってなければならない。だから蓋をパカッと開けて座って弾けるピアノの方がずっと好きだった。

練習を嫌がる私を、母と祖母がなんとかなだめながらのバイオリンとの格闘生活が幕を開けた。

自慢じゃないけど、その当時は一人っ子(後に弟誕生する)だった事もあり、両親ともにとても私に厳しかった。そして、私はその当時超ビビリ屋さんだったので、渋々最後には親の言うことを聞く子ではあった。

本当に練習したくない時は、コタツに水銀の体温計を突っ込み、高熱が出て辛そうに演技する、大きなハサミでバイオリンの弦を切ろうと試みる(幼い私には切れなかった)など様々なことを試みた。

バイオリンのレッスンに行ってちゃんと弾けたら、りかちゃん人形を買ってくれ、デパートのレストランでお子さまランチを食べて、それに付いてくる陶器のカラフルな汽車を集めると言う王道セットが好きで、レッスンに通うのは好きで通っていた。発表会で裾の広がったドレスを着てバイオリンを弾くのや、生徒さん達と遊ぶのも好きだった。

幼少期の習慣とは恐ろしい。未だにリサイタルが上手くいくと、優しい人にご褒美をおねだりする癖が消えない。おまけにリサイタルの報告を母にすると、母は’’ お母さんのカード使ってなんか美味しいもの食べなさい’’ と言う。なんともバカ親子である。流石に母のカードは使いませんよ!!

いまは亡き父ですが、この報告をいつも静かに喜んでくれていたようです。